“名誉”かリストラか?韓国の名誉退職制度と若者の就職難・高齢化社会の課題
先日、韓国の知人と話している中で「명예퇴직 (ミョンイェテジク:名誉退職)」という言葉を耳にしました。「名誉」と付くからには、何か功績を称えられて円満に退職するような、ポジティブな響きを感じるかもしれません。しかし、詳しく聞いてみると、これは日本でいうところの「早期退職優遇制度」に相当するものであり、必ずしも喜ばしい状況ばかりで使われるわけではないようです。
経済の低迷や産業構造の変化が進む中で、韓国企業も人件費の抑制や組織の若返りを図る必要に迫られています。その一方で、若者は深刻な就職難に苦しみ、社会全体では急速な少子高齢化が進行しています。この記事では、「名誉退職」という言葉を切り口に、現代韓国が抱える雇用問題、世代間の課題、そして社会構造の変化について深く掘り下げていきます。
目次
韓国の「名誉退職(명예퇴직)」とは?日本の早期退職との違い
まず、「名誉退職」が具体的にどのような制度なのかを見ていきましょう。
定義と仕組み:退職金上乗せ措置
「名誉退職」は、法定の定年を迎える前に、企業が定めた一定の勤続年数や年齢などの条件を満たした従業員が、自らの意思で退職する制度です。多くの場合、通常の退職金に加えて、数ヶ月分から数年分の給与に相当する割増退職金(名誉退職金)や、子女の学費支援、再就職支援などが提供されます。
この仕組み自体は、日本の早期退職優遇制度とほぼ同じと言えます。
「解雇」とは異なる位置づけだが…実態は?
法的には、あくまで従業員の自発的な意思に基づく退職であり、会社側から一方的に雇用契約を解除する「解雇(해고:ヘゴ)」とは明確に区別されます。しかし、実際には、業績が悪化した企業が経営再建のために大規模な人員削減策として実施したり、あるいは定年間近の給与が高い従業員に対して、暗に退職を促す手段として用いられたりするケースも少なくありません。
そのため、表向きは「名誉」という言葉が使われていても、実質的にはリストラ(構造調整:구조조정:クジョジョジョン)の一環であると受け止められることも多いのが実情です。「希望退職」という名目で行われることもあります。
ネーミングセンスは良い?言葉の裏側
記事の筆者が述べているように、「名誉退職」というネーミング自体は、単なる「早期退職」よりも、長年の会社への貢献を称えるような響きがあり、退職する側の心理的な抵抗感を和らげる効果があるかもしれません。しかし、その言葉の裏には、厳しい経営環境や雇用調整の現実が隠されている場合もあるのです。
【会話例:同僚の退職】
가: 이 부장님께서 명예퇴직을 하셨대.
李部長が名誉退職(早期退職)したんだって。나: 그래? 이 부장님은 좋은 분이었는데
そうなの? 李部長はいい方だったのに。가: 그러게.
ほんとだね。
なぜ名誉退職が進むのか?韓国の雇用環境
近年、韓国で名誉退職が増加傾向にある背景には、いくつかの構造的な要因があります。

定年延長の一方で、早期退職を促される現実も。中高年社員のキャリアは岐路に立つ。
高い人件費と企業の経営戦略
韓国では年功序列型の賃金体系が根強く残っている企業も多く、勤続年数が長い中高年層の人件費は高くなる傾向があります。経済成長が鈍化し、企業間競争が激化する中で、多くの企業がコスト削減と経営効率化を迫られており、人件費の高い層を対象とした名誉退職は、その有効な手段の一つと考えられています。
法定定年60歳義務化とその影響
韓国では2016年から段階的に、法定定年を60歳以上とすることが義務化されました。これにより、従業員の雇用期間は以前より長くなりましたが、企業側としては、高齢層の人件費負担が増加するという側面もあります。そのため、法定定年を迎える前の50代後半などの従業員に対し、名誉退職を勧奨する動きが見られることがあります。実質的な退職年齢は、法定定年よりも早いケースも少なくありません。
深刻な若者の就職難:新卒採用抑制の側面も?
韓国では、若者の就職難(青年失業率の高さ)が長年深刻な社会問題となっています。(※2025年現在も依然として高い水準ですが、最新の数値をご確認ください)。企業が中高年層の人員整理を進める背景には、新規採用枠を確保したいという意図もあると言われますが、必ずしも若者の雇用創出に直結しているわけではなく、単純なリストラに留まるケースも多いのが実情です。
景気変動とリストラの波
世界経済の動向や特定の産業(例:造船、自動車、ITなど)の景気変動の影響を受けやすく、業績が悪化した企業が大規模な名誉退職(リストラ)に踏み切るケースも周期的に見られます。IMF危機(1997年)やリーマンショック(2008年)の際には、多くの企業で人員削減が行われました。
加速する少子高齢化と社会の変化
名誉退職の問題は、韓国社会が直面するより大きな構造変化、すなわち急速な少子高齢化とも密接に関わっています。
世界トップクラスの高齢化スピード
韓国は、世界でも類を見ないスピードで少子高齢化が進行しています。合計特殊出生率は2023年に0.72と過去最低を記録し、世界最低水準となっています。一方で、平均寿命は延び続け(特に女性は世界トップクラス)、社会全体の高齢化が急速に進んでいます。(※最新の高齢化率データをご確認ください)
高齢者の貧困問題:OECDワーストレベルの実態
急速な高齢化の一方で、公的年金制度の成熟度が低く、高齢者の貧困率が非常に高いことも深刻な問題です。OECD加盟国の中でも、韓国の高齢者貧困率は長年ワーストレベルで推移しています。若いうちに十分な資産形成ができなかったり、退職後の再就職先が見つからなかったりするケースが多く、名誉退職したものの、その後の生活に困窮する人々も少なくありません。
「シルバー産業」の勃興と介護問題
高齢者人口の増加に伴い、介護、医療、健康食品、シニア向け住宅など、「シルバー産業」は成長分野として注目されています。しかし、介護サービスの担い手不足や、高齢者が高齢者を介護する「老老介護」の問題なども顕在化しています。
広がる格差と若者世代の苦悩
少子高齢化と経済成長の鈍化は、社会的な格差を拡大させ、特に若者世代に大きな影響を与えています。

恋愛、結婚、出産…多くを諦めざるを得ない?「N放世代」の苦悩は深い。
深刻化する貧富の差:「負の連鎖」は韓国でも?
不動産価格の高騰などを背景に、資産を持つ層と持たない層との格差が拡大しています。親の経済力が子どもの教育機会や就職に影響を与える「親ガチャ」のような状況も指摘され、日本と同様に「負の連鎖」に対する懸念が高まっています。
「N放世代」の登場:諦めと希望喪失
厳しい就職難、高騰する住宅費、不安定な雇用…こうした社会状況の中で、将来への希望を見出せず、様々なことを諦めてしまう若者が増えています。かつては恋愛・結婚・出産を諦める「삼포세대 (サムポセデ:三放世代)」という言葉がありましたが、さらにマイホームや人間関係、夢や希望までも諦める「N포세대 (Nポセデ:N放世代)」という言葉が使われるようになり、若者の間の諦め感や閉塞感の深刻さを物語っています。
結婚・出産へのハードル:住宅問題と経済的負担
特に、結婚に対する経済的なハードルは非常に高いです。韓国では伝統的に、結婚時に男性側が新居(多くは賃貸の保証金「チョンセ」または購入)を用意するという慣習が根強く残っていましたが、近年の不動産価格の高騰により、それが極めて困難になっています。結婚や出産には多額の費用がかかるという認識が、若者の晩婚化や非婚化、そして超低出生率に繋がっています。
明暗?韓国の若者を取り巻く状況
厳しい現実に直面する一方で、韓国の若者を取り巻く状況には、異なる側面も見られます。
大企業の教育制度:エリート層への投資
一部の大手企業では、優秀な人材を確保・育成するために、社員教育に力を入れています。記事にあるように、会社負担で国内外の大学院に進学させたり、語学研修の機会を提供したりする制度を持つ企業もあります。ただし、これは主に一部のエリート層に限られた話であり、全ての若者が恩恵を受けられるわけではありません。
休学・留学への積極性?兵役とキャリア観
韓国の大学生は、日本人学生に比べて休学(휴학:ヒュハク)をすることへの抵抗感が少ないと言われます。その理由の一つに、男性の兵役義務があります。多くの男子学生が大学在学中に兵役のために休学するため、「休学=ブランク」というネガティブなイメージが比較的薄いのです。その期間を利用したり、あるいは別途休学したりして、語学留学やワーキングホリデー、インターンシップなどで自己研鑽に励む学生も少なくありません。キャリア形成に対する考え方の違いとも言えるでしょう。(ただし、近年は経済的な理由で留学などを断念するケースも増えています。)
日本の「ゆとり世代」との比較:世代論の限界
記事では韓国の「サムポ世代」と日本の「ゆとり世代」を比較していますが、それぞれの国の社会背景や教育制度が異なるため、単純な比較は難しいでしょう。また、「〇〇世代」という括りは、その世代の多様な個人をステレオタイプ化してしまう危険性も孕んでいます。厳しい状況の中でも、新しい価値観を見出し、スタートアップに挑戦したり、独自のキャリアを築いたりする若者も数多く存在します。
まとめ:名誉退職から見える韓国社会の構造的課題
「名誉退職」という一つの制度は、現代韓国社会が抱える様々な課題――企業の経営効率化と人件費抑制の圧力、法定定年延長と中高年の雇用不安、深刻な若者の就職難、急速な少子高齢化と高齢者の貧困、拡大する社会格差、そして若者世代の閉塞感――と密接に結びついています。
ネーミングの印象とは裏腹に、多くの場合は厳しい現実を反映した雇用調整の一環であり、個人のキャリアだけでなく、社会全体の構造的な問題を考える上で重要なキーワードと言えるでしょう。韓国社会のダイナミズムと、その裏にある課題を理解するためには、こうした雇用や世代に関する問題にも目を向けることが不可欠です。